皆さまは、人形の町というお言葉を聞いたことはありますでしょうか。当工房のある埼玉県には、日本一の人形の町と言われる都市があります。それは、旧埼玉県岩槻市、現在の埼玉県さいたま市岩槻区です。
正式には、「人形のまち」と書きますが、そう言われる由来は何でしょうか。実はこの「人形のまち」の由来には江戸時代に遡る歴史があります。今日までも続く、可愛らしい雛人形や勇ましい五月人形の発展に寄与する町、岩槻について分かりやすくご説明します。
1. 岩槻ってどんなところ?人形のまちとは?
アクセス
岩槻は埼玉県の東部(南部寄り)に位置しており、鉄道は東武アーバンパークライン(旧東部野田線)が走る埼玉県屈指のターミナル駅大宮から10km程度のところに位置しています。実は高速道路のインターチェンジ(岩槻IC)もあり、交通は大変便利です。
雛人形はじめとした人形店もたくさんあるの?
岩槻は、「人形のまち」と言われるだけあり、岩槻には多くの人形職人がおり、多くの販売店があります。岩槻人形協同組合に属している人形店の数だけでも約70店もの人形店があります。当工房も岩槻区の近郊に工房をかまえており、岩槻人形共同組合、岩槻人形優良店会に加盟しています。埼玉県内や近郊にお住いの方で雛人形(ひな人形)や五月人形をお探しの方は、是非、岩槻にお越しください。具体的な販売店については、岩槻人形優良店会の加盟店リストをご覧ください。
2. 岩槻が人形のまちと言われる由来は?
岩槻が人形のまちと言われる由来は、約400年前の江戸時代初期に遡ります。江戸時代初期の当時、三代将軍徳川家光は、日光東照宮を大造換するために全国から腕利きの職人を集めました。余談となりますが、現代に日本が誇る世界遺産の日光東照宮はこの際に現在私たちが見ている姿になったのです。
職人が江戸から日光へと向かう日光御成街道の道中の最初の宿場町が現在の岩槻でした。道中立ち寄ったことによる影響からか、日光東照宮の造換に関わった職人の中には、岩槻にそのまま定住する方も多くいたようで、腕利きの職人が多く岩槻に居住するようになりました。その職人の中には、人形づくりをする職人もおり、その技術が広まっていったとされています。加えて、伝統的な人形は桐(きり)を原料にしており、偶然にも当時岩槻周辺は、桐が豊富な産地であったこと、また人形のお顔を作る際に綺麗なお色を出すために重要な水に恵まれていたことも今日に至るまで続く人形産業にとって重要な点でした。
技術と環境の諸条件が揃って、雛人形(ひな人形)、五月人形の生産量、生産額ともに日本一の規模へと発展していきました。江戸時代には岩槻の特産品として、現代では、「江戸木目込人形」と「岩槻人形」は、経済産業省が指定する伝統的工芸品とされています。これが、現在岩槻が「人形のまち」と言われる由来です。
3.人形にちなんだ岩槻の行事
人形のまちとして、岩槻では毎年人形にちなんだ行事が多く行われています。その中でも現代の雛祭りの源流と言われる「流し雛」や役割を終えた人形をお預かりする人形供養祭は岩槻を代表する伝統ある行事です。※流し雛については、こちらの記事もご参照ください。
主な行事
時期 | 行事名 | 行事内容 |
3月 | まちかど雛めぐり | スタンプラリーや体験教室等、岩槻のまちを巡り、人形を見たり、人形作りを体験したり、岩槻で食事をしたり人形のまちを体験していただく行事です。 |
3月 | 人形のまち岩槻流し雛 | お子様の無病息災を祈り、紙でできた人型を池に流す伝統行事です。 |
8月 | 人形のまち岩槻祭り | 岩槻のまち全体で行われるお祭りです。実際にお雛様に扮した仮装人形パレードや世界一のジャンボ雛段が登場します。 |
11月 | 人形供養祭 | 様々な想いの詰まったお人形は壊れてしまったり、飾らなくなったりしてもなかなか捨てることは、しのびないものです。そんなご参加者の方がお人形をお持ちになり、心を込めて丁寧に供養する行事です。 |
1年間通して、様々な行事が行われています。ご興味のある方は、是非足を運んで頂ければと思います。
詳細については、岩槻人形協同組合ホームページをご覧ください。
まとめ
「人形のまち岩槻」について、ご紹介させて頂きました。江戸時代から長く続く歴史と意外な背景があることをご理解いただけたのではないでしょうか。雛人形(ひな人形)や五月人形をご購入の際には、岩槻という日本一の人形の町があることを頭の片隅に留めて頂くことや、近郊にお住まいの方は、色々な行事があるから足を運んでみたいと少しでも感じて頂けますと幸いです。